否定的瞬間
こんにちは~
訪問ありがとうございます。
みなさまは、過去をさかのぼり
ご自分が否定的瞬間に出逢ったことを
覚えていらっしゃいますか?
記憶をたどり、私が覚えている瞬間は、社会に出てから。
社会といっても幼稚園児の時までさかのぼります。
事件は突然起こります。
幼馴染が、私に会い(多分)に来た
アネのことを告げに来ました。
玄関に飛んでいったようにも思えます。
その時、自分がどんな気持ちだったのかは、
残念ながら定かではありません。
嬉しかったのか~
たいへんだ~
と思ったのか思い出せません。
問題はそのあとです。
玄関に行ってみると、かなりの幼稚園児たちと先生方でホールはいっぱいでした。
アネを囲むように大人も子供も私のアネを見ていました。
アネは笑っていたように思えます。
ところが、私がその場に行くと、
みんなの目は一斉に私にむけられました。
その雰囲気というか~視線というか~
みんなの目が異様でした。
私はそれを察し、
素直な選択ができなくなりました。
「来てくれたの~ありがとう」という
シナリオとは正反対の態度をとりました。
その時、私の中で何かが変わったのです。
そう~みんなの視線を第一に察しし気にして、
アネを「恥ずかしい~!」と思ってしまったのです。
恥ずかしい~!というその感情こそが容赦なく
私を分離させてしまった原因になってしまいました。
これがきっかけで私は委縮し、
いいか悪いか、恥ずかしいと思うことに
何の疑問も持つことはなくなりました。
恥ずかしいが当たり前になり、
それが前提意識にセットされ、
否定街道まっしぐらと駒を進めるようになったのです。
私のアネはダウン症で、社会に出るまでは
私の家族としてごく当たり前のことでした。
ダウン症だということもわからなければ、
人とどこか違うということも
意識したことはありませんでした。
何もかもが普通で、
おかしいなどと考えたことはありませんでした。
それが誰かの大勢の目を通すと違ってしまうことに
恐怖を覚え、
私の人生は波乱万丈をたどる羽目になったのでした。
ここで学ぶことは、
状況や誰かは問題じゃないということ!
学ぶべきは外界に左右されない自分の在り方なのです。
また、否定から肯定すべきことを学ぶことも人生には大事なことです。
すべてを受け入れる勇気を持ちましょう。
ハレルヤ!
創造は栄光なり!
「思考もオシャレにシャネルーゼ」
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