kujirasei’s blog

気づきベース

進化しすぎた主観

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

哲学者のルネ・デカルトは、

【我思う、ゆえに我あり】と主張しました。

哲学者のイマヌエル・カントは、

【客観は、主観の中につくられたもの】と主張しました。

正に主観があるからこそ、客観がつくられました。

しかしながら、

この【客観】は、時に【主観である私】を、

【恐れを抱く対象】、【傷つけるもの】

という認識をしてしまいます。

ゆえに、客観が独り歩きしているように見えます。

主観がにいかに、客観に力を与えてしまったか、

私たちはすでに経験済みです。

そのため、主観の対象はつねに客観であり、

デカルトが主張した、

物心二元論と方法的懐疑に進化したのでしょう。

その巨大な迷路に迷い込んだ私たちは、

いつしか人生をかけて取り組みます。

でも、客観は主観がつくりあげたもの。

つまり、デカルト曰く、

主観が【全く完全な存在とは言えない】

と認識したからこそ、

客観にその不足感が投影され続けることになったのでしょう。

それが現実に起こっている問題の始まり。

でもそうならば、

主観は客観をどのようにでもコントロールできる力と、

智慧をもっているということ。

主観が、【自分は完全な存在だ】

と認めることができたとき、

その客観は愛ある世界に変わるのではないでしょうか。

 

またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

SEIKO KOJI

 

 

 

 

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