終いには国や政治のせいにする被害者意識を手放しましょう
こんにちは~
訪問ありがとうございます。
誰にでも被害者意識というものがあると思うのですが、
これは、他人が自分を傷つけたりすれば、
「自分を守らなければいけない」という
究極の選択が生まれ
悪から自分を守るためのヒーローの登場となります。
それがエゴの精です。
そのヒーローの出場場面が人生で多くなればなるほど、
その被害者意識は刷り込まれてしまいます。
このカッコイイ~!ヒーローですが・・・
ヒーロー(加害者)と被害者意識は、対で登場します。
つまり、ヒーローでありながら、被害者であるという矛盾した立ち位置です。
ヒーローは果敢に立ち向かい対峙します。
一方、被害者意識は身近な誰かを責め始めます。
しかしながら、その状況から抜け出すものが出てくると、
それをまた、誰かのせいにしてしまいます。
つまりは、自分のやるせない気持ちのはけ口という生贄が必要なのです。
それが習慣になっていくと、
少なくとも国民の幸せを考えている政治家へと発展してしまいます。
これを問題視し、意識の焦点化が起こっているので、
自分が置かれた環境で文句を言っても変わらないのだけど・・・( ^ω^)・・・
悪態、否定的な批判が止まりません。
さらに否定的批判は続きます。
それに気が付かない限り、このトカゲのしっぽ切りは止むことはありません。
これが人生で陥る罠です。
つまり、誰かのせいにしても何も変わらないという現実しかやってきません。
無力感を感じるのもそのせいです。
それが被害者であっても加害者であっても同じことです。
これでは誰も幸せにはなれません。
望む現実を手に入れたいのならば、
自分に原因があったということを容認することです。
過去に何度も傷つけられているのは事実ですが、
状況や誰かの言葉をうのみにせず
自分は不完全、ダメな人間、無力な人間であるというような意味付けと認識のセットではなくて、
そんな風に誰かの誘導であったとしても、
自分自身、自己を否定的に考えてしまったということが
最大の原因なのです。
そのことに気が付けば、あとは自己を肯定するしかありません。
そして肯定しても良いと許すことが問われているのです。
誰でもない自分の意識世界を~どうしたいのか?
どうありたいのか?という決意と確信が問われています。
自分を良しとすることに焦点化していけば、
何も怖いものはないし、
最も自分が救われ、可能性が広がってくるのです。
そうなれば、不平不満や批判からはなれ、
実際に政治家になって改革したいと思うかもしれないし、行動につながるかもしれませんね。
またひとつ幸せになれました。
ハレルヤ!
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