kujirasei’s blog

気づきベース

さとみけんいちのパラドックス

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

さて、皆さんは暗くなれば、

迷わず蛍光灯のスイッチに手を伸ばし電気をつけますよね。

それは無意識に行われていますが、

スイッチを「ON」にするという選択がなされています。

「ON」になった途端、エネルギーが流れてきて電気が付きますね。

部屋が明るいのはいいですよね~

これは誰にでもできるありがたい習慣なのです。

でも言葉や思考や意識、それに伴う感情はどちらかというと「OFF」になりがちです。

それは「ON」にする習慣や思考回路がそのようになっていないので、

「OFF」にこだわり続けてしまいます。

つまり、どちらもエネルギーなのです。

この世の森羅万象はエネルギーでできているって、

誰もが知っているにもかかわらずです。

人は頭ではわかっていても、心には響いていないため行動に至っていない。

風が抜けていくようにその知識も抜けていきます。

 

たまたま、「サトラレ」という映画を観ました。

すっごく面白くて…でもクライマックスは感動ものです。

 

さとみけんいちなる主人公の心(意識世界)の声が誰にでも聞こえるというお話。

実際には誰にもその意識世界はわかりませんね。

自分だけの世界。

さとみけんいちのパラドックスなのかな~

見えているようで見えていない。

このように私たちにも見えているようで見えていない世界があります。

クライマックスで、さとみけんいちが、

おばあちゃんの手術中に、

彼の心(意識世界)では手術成功と思われましたが、

新たな癌を発見してしまいます。

しかし、どうすることもできない状態であるがために、

さとみけんいちの心(意識世界)の声は諦めに変わります。

この心の声が病院にいる人全員に伝わる。

そのとたん誰もが悲しみ落胆する。

これが負のエネルギーです。

この映像でわかるように、実は見には見えないけれど、

実際にこのようなことが現実にも起きているわけです。

コロナウイルスが、いい例です。

ただ私たちはそれに気づいていないだけなのです。

あなたはそれでもスイッチを「OFF」にしたまま今を生き続けますか?

状況は問題ではなくて、ひとりひとりの在り方が問われています。

いかに自分が望む現実に意識を向けるかが大事だということを、

この映画は伝えているのではないでしょうか。

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2001年の映画 作者 佐藤マコト 監督 本広克行

またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

 

 

 

 

358プロジェクト

終いには国や政治のせいにする被害者意識を手放しましょう

こんにちは~

訪問ありがとうございます。

 

誰にでも被害者意識というものがあると思うのですが、

これは、他人が自分を傷つけたりすれば、

「自分を守らなければいけない」という

究極の選択が生まれ

悪から自分を守るためのヒーローの登場となります。

それがエゴの精です。

そのヒーローの出場場面が人生で多くなればなるほど、

その被害者意識は刷り込まれてしまいます。

このカッコイイ~!ヒーローですが・・・

ヒーロー(加害者)と被害者意識は、対で登場します。

つまり、ヒーローでありながら、被害者であるという矛盾した立ち位置です。

ヒーローは果敢に立ち向かい対峙します。

一方、被害者意識は身近な誰かを責め始めます。

しかしながら、その状況から抜け出すものが出てくると、

それをまた、誰かのせいにしてしまいます。

つまりは、自分のやるせない気持ちのはけ口という生贄が必要なのです。

それが習慣になっていくと、

少なくとも国民の幸せを考えている政治家へと発展してしまいます。

これを問題視し、意識の焦点化が起こっているので、

自分が置かれた環境で文句を言っても変わらないのだけど・・・( ^ω^)・・・

悪態、否定的な批判が止まりません。

さらに否定的批判は続きます。

それに気が付かない限り、このトカゲのしっぽ切りは止むことはありません。

これが人生で陥る罠です。

つまり、誰かのせいにしても何も変わらないという現実しかやってきません。

無力感を感じるのもそのせいです。

それが被害者であっても加害者であっても同じことです。

これでは誰も幸せにはなれません。

望む現実を手に入れたいのならば、

自分に原因があったということを容認することです。

過去に何度も傷つけられているのは事実ですが、

状況や誰かの言葉をうのみにせず

自分は不完全、ダメな人間、無力な人間であるというような意味付けと認識のセットではなくて、

そんな風に誰かの誘導であったとしても、

自分自身、自己を否定的に考えてしまったということが

最大の原因なのです。

そのことに気が付けば、あとは自己を肯定するしかありません。

そして肯定しても良いと許すことが問われているのです。

誰でもない自分の意識世界を~どうしたいのか?

どうありたいのか?という決意と確信が問われています。

自分を良しとすることに焦点化していけば、

何も怖いものはないし、

最も自分が救われ、可能性が広がってくるのです。

そうなれば、不平不満や批判からはなれ、

実際に政治家になって改革したいと思うかもしれないし、行動につながるかもしれませんね。

 

またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

 

 

 

 

 

358プロジェクト

 

 

豊かな世界

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

外界の状況によって人は感情を揺さぶられるものです。

安全でないと認識すれば、危険を回避するために人は行動します。

コロナウイルスによって、

トイレットペーパーを買いだめするのもそういった感情に揺さぶられるから。

このような状況になっても、リラックスでき常に展開される豊かさに目を向けていられる人もいます。

この二つは何が違うのでしょうか。

外界にフォーカスしているか、自分の望むことにフォーカスしているのかの違いです。

外界に意識をフォーカスすれば、コントロール不能ですから、恐れも増します。

その分揺さぶられます。

でも、自分の望むことへ意識をむけることは、自分をコントロールすることができているという豊かさです。

不足に意識を向けている以上、不足という状況しかやってきません。

でも、豊かさに目を向けるから、豊かさがやってくるのです。

あなたも今からその豊かさに気づいてみませんか。

 

またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

 

 

 

358プロジェクト

 

 

 

正しい選択とは何か?今話題のコロナ新型ウイルス

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

 

今朝、Woolworths(オーストラリアで王手のスーパーマーケット)に行ってきました。

昨日、友達3人とランチをしたときにも話題になっていましたが、

日本同様、こちらのスーパーマーケットの棚からも、

トイレットペーパーが消えていました。

もちろん、今話題のコロナ新型ウイルスが巻き起こしている、

みんなの関心ごとですね。

私の周りにも、真剣に取り組んでいる人もいます。

 

人間の脳は、基本的に良いことよりも、

リスクを回避する方向に働きやすいそうです。

トイレットペーパーを早々に買いだめした方たちは、

その脳の働きが正しいことを物語っています。

脳が危険だと判断しあらゆる情報を集めて、

その危機に対処している。

こうともいえます。

生存するために脳が無意識に行ったということ。

だからこのような事態にもなるのでしょう。

ただこの脳の無意識の選択は、

ネガティブに過剰に反応し働いたという事実ですが、

このような選択が本当に必要なのでしょうか?

そして、この前提意識には恐れがベースにあります。

この恐れがトイレットペーパーを買いだめするという行動につながっているともいえます。そして誰かが買いだめすれば、誰かが本当に必要でも手に入れることができないという事態に陥る人もいることでしょう。

そうすれば人は不平不満感情を出します。

さらなる負のエネルギーを世の中に発信することになります。恐れは新たな負のエネルギーを発信しているということなのです。

この前提意識にある恐れは、

エゴの精なる保守という意識といえます。

守ることは悪いことではないけど、

調和を乱すエネルギーともいえます。

 

では、脳が肯定的にとらえた場合はどうでしょうか。

自分は大丈夫だという自信や確信が、

みなぎるかもしれませんね。

そして、コロナ新型ウイルスを重要視しないかもしれません。

重要視しなければ、世間の話題から消えます。

 

昔から言われている陰陽の法則というものが存在しますが、

この法則によって、

プラスとマイナス(表裏)という出来事は、同時に現実にやってきます。

その選択権も同時に発生します。

マイナスと見るか、プラスと見るのか、

はたまた陰陽全体そのものを見るのかで結果は違ったものになります。

 

陰陽そのものを受け入れている場合、

現実に振り回されることなく、

宇宙と自分のつながりという調和を信頼していることでしょう。

そこには安心安全という完全なる調和が存在し、

何の不自由も恐れも感じてはいない選択もあるでしょう。

 

それを選ぶのはあなたです。

でもその脳の仕組みや宇宙の仕組みを知らなければ、

本当に正しい選択はできないでしょう。

あなたは何を信じ何を選択しますか。

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雨がやまないときはない

 

またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

 

 

 

 

 

 

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その昔、シャハーンギールが住んでいた場所

 

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

インドの歴史の中では、

もっとも偉大な王であり融和の象徴として尊敬を集めているアクバル大帝。

その息子であるシャハーンギール

シャハーンギールが1605年から1627年までムガル帝国を統治していた場所がここです。

平和と繁栄をもたらしたということです。

そのシャハーンギールの息子が、

1627年から即位しています。

それがタージ・マハルを建設した

シャー・ジャハーンです。

タージ・マハルは実に美しい建物ですね。

シャー・ジャハーンの愛そのものなのでしょうね。

 

平和と繁栄は、

人間なら誰もが憧れるものではないでしょうか。

歴史から見れば、戦って勝ったからそれが手に入ったように見えますが、

ホントのところ、

意識世界に愛があるから、

平和と繁栄が引き寄せられたのでしょう。

 

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いかにも皇帝の住まいという趣がありました。

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日時計だった過去

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噴水だった過去

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野生の孔雀がたくさんいました

そのころからこのクジャクの先祖もここにいたのでしょうかね。

野生のリスもたくさんいました。

その昔は、とても豊かな楽園だったのでしょうね。

 

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頭ぐらい大きな果実。窓でしょうか?

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ここで働いていた人たち。一緒に写真をと( ^ω^)・・・

皆さんよその州から働きに来ていました。

それが見習い?さんたちの政府が決めたルールなのだとか。

なぜここに政府が手を入れたかというと・・・

ここはいろんな方が散歩に来るのだそうですが・・

ここは恋人たちの絶好の営みの場になっていたそうで

「けしからん」という苦情が相次いだらしい。

希望が叶ってその対策も兼ねここに手を入れているそうです。




またひとつ幸せになれました。

ハレルヤ!

 

 

 

 

 

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インドのテンプルめぐりになった


こんにちは

訪問ありがとうございます。

私は宗教を信じているわけではないのだけれど・・・

友だちが熱心なサイババの信者であり、そのご主人はシック教の信者。

彼女は自分はもちろんのこと、ご主人の信じるものを尊重している。

この寺院は金?だったかな~

ゴールデンテンプルを小縮した感じ。

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同じくサムリトサルにあるシック教の寺院

さて、人は闘/戦って生きている。

それは自分の中で分離しているからなのだけれど、

闘っているとそれが外界に投影されるので、

闘う人生になってしまう。

そこには自分を尊重することを忘れた自己が存在する。

自分を尊重出来ないのだから、外界の誰かも尊重することはない。

特に顕著に表れるのは否定的な出来事が起きたとき。

だから感謝も忘れる。

人間関係で争うことはすべて自己の分離から成り立っている。

状況や誰かを問題にする前に、自分の在り方が問われるのである。

 

インド滞在中、友達のご主人が子供の世話をしていた。

ダブルベッドの上で一歳の男の子はぴょんぴょんはねて喜んでいた。

私も私の友達は結婚式の準備に追われていた。

でも誰にでも眼を放す瞬間があったりする。

見ているはずのご主人の焦点がその子供からハズレ、

床に落下した。

その瞬間、彼女もご主人も子供に目が行く。

彼女はすぐ飛んでいき子供を抱える。

泣く子供を前に感情が爆発する母(彼女)

そして、すごい剣幕でご主人を責めたのだ。

こんな光景はめずらしくない。

どこにでも起きゆる状況だ。

子供を持っている人なら、

経験があるのではないでしょうか。

でも私はこういった。

まず初めに子どもが大丈夫だという確認。

次に、そのことを彼女が信じているサイババでも

神でもなんでもいいから感謝すること。

そしたら、ご主人を責める必要などなくなる。

責めるのは第二感情。自分以外の誰かに対して放つ感情。

では第一感情はいずこか?

第一感情は彼女自身が感じている感情。

それは何か?

その感情を無意識に抑圧したから、第二感情を勃発するかめになってしまった。

責められるほうも、責めるほうもいい気持ちはしない。

もうここで選択のミスだ。

こんなことは何度でも繰り返される。

でも、大事な息子が無事ならばそれでいいのだ。

そして、この時こそ、感謝したり、ラッキーだ!

といってこそ、

またそのような感謝できる出来事やラッキーな出来事がやってくるのである。

この習慣を変えると人はもっと生きやすくなる。

自分を責める前に大丈夫だということを信じる。

 

 

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ゴールデンテンプルを小縮した感じ

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ここから少し歩いたところにサル神・ハヌマーンが祭られている。

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「あなたは宗教か?」と聞いてくる人がいる。

つまり、「あなたは宗教を信じているのか?」という質問なのだと思う。

こういう方に限って宗教に巻き込まれる怖さを前提意識に話をする。

けど、それは過剰ポテンシャルともいえる。つまり執着だ。こだわりだ。

怖ければ、考えないことが最善なのだ。

 

創造は栄光なり!

ハレルヤ!

 

 

 

 

 

 

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光のゴールデンテンプル・2

こんにちは

訪問ありがとうございます。

 

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誰が見てもきらっきらっのゴールデンテンプル

多くの人々が昼夜かまわずこの光を求めてやってきます。

 

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ゴールデンテンプルの周り

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ゴールデンテンプルへの入り口
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浅草の雷門的な感じ~いろんなお店が並んでいました。かなりのスピードで狭い路地を走るタクシー

一日中に煮込んでいるホットミルク。上にできたクリームをのせてくれます。

タクシーからカバンがはみ出ないように、友達の声が~

店を構えて商売している人や頭に品を抱えて移動している人や、いろんな商売が成り立っていました。

しかしながら・・・・

この手前にはたくさんの浮浪者の方たちがコンクリートの上に横になって寝ていました。

この寒いのに毛布一枚ちょっとの世界。

でも、ここにいれば、三食は安泰。生きていけます。

私はものすごく恵まれていることに感謝しかありませんでした。

 

光を求めて人々はここにやってきます。

「信じる者は救われる!」その通りだと思います。

ただ何を信じているかということがとても大事。

人は自分が苦しくなることも含めて信じていたりします。

その信念が高い山のごとく聳え立っていたりもします。

しかし前提意識によってその山は低くもなったり、無くなったりもする。

その前提意識である信念が何なのか?ということを明らかにすることは、

選択肢に可能性が宿ります。

 

たくさんの浮浪者の方たちも、

無から何かを生み出す力はあるはず。

そこから不死鳥のごとく高く飛んでほしいと願っています。

 


またひとつ幸せになりました。

ハレルヤ!

 

 

 

 

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